「探索中」
私の仕事は『のぼかん』世界を説明して、眼前の相手の方々にとっての考えや悩み事を、『のぼかんの理論』に沿って解説し、その理解の上に各人のテーマに対する確認付けや、問題点を個々がきちんと把握し解決に向かうところまでとしています。
そうです、自身の確認付けや悩みへの対処は、自身で結論付ければ良いのです。
そんな日々の連続の裏では、時折り『よく喋る自分』を感じ思ったりもします。
この仕事に至るまでの寡黙な自分とは思えない、その話す『量』の多さに驚いたりするのですが、振り返るとこれでも必要最低限ではあるのだなと納得したりしています。
私の記憶としてある自我の世界の始まりは、学校に上がる前までの、親に付き従いあちこちの町や村の公民館などを転々とする日々にありました。家業は映画上映と舞踊ショーをやる一座でした。と言っても父母と私と手伝いの男衆と女衆が時々出入りします。そこで私も幼いながらも一人の稼ぎ手でありました。
私の一日は仕事以外の時間は食べる、寝る事を除けば、一人あちこちを彷徨い歩くものでした。
晴れの日も大雨の日も関係はありません。
今日も一座は名前さえ知らない集落に着きました。ひと段落したら私は早速探検と称して出かけます。
親の居場所に帰り着く自信は妙にありましたから、まさに彷徨う為には、意識して目印などを求めず、下だけ見て歩いたりや空だけ見上げて歩いたり、そんな彷徨を課しながらも、段々と見知らぬ風景に魅了されていきます。これがなんとも嬉しいのです。敢えてもっと先にもっと先までと意識しながらも、もう充分さていざ帰る頃には、果たして帰りつけるのやらという少しの不安に対する「賭け」も、私の今日の遊びの一つとなっていました。
そう『賭け』にするには安心と怖さのギリギリまで追い込んだり、引っ張る必要があるのです。計算や打算に何の面白みのあろうはずもありませんね。
自分が意図して入った世界は、全てが自分の為の為だけの時間に出来るんですよね。周りから見たら下らないこだわりでも、自分に取ってはちょっとした緊張を伴いながらの、遊びの締めくくりになるのです。
そんな日常の中で、小さい頃から『映画』の世界が身近にあったものですから、毎晩々自分の出番が来るまでは、客席から『映画鑑賞』するのも日課で、親がまぁ見飽きないのかしらと呆れるほど、観入っていたそうです。上映の中ほどには決まって隣の見知らぬお客さんにもたれて寝入っていたようですが、幼いながらも自称映画愛好家だったのです。
月に一度位は『映画』のフイルムが総入れ替えになるのでまた新たなストーリーに夢中になるのですが、こうして慣れ親しんでいくうちに、『映画』のストーリーも台詞もいつの間にか覚えてしまいます。意味のわからない言葉も前後の周りの言動でそのおおよその内容は段々わかります。
ですから今でも何かがわからないからと、慌てて誰かに教えを乞う事は基本的にはありません。
調べものでもあれこれ考えをこねくり回して行き着いた末の答えと正式なものとされる答えとの比較までが好きですね。
だって継続していけば大抵のことは普通にわかるというのを知っているからです。
ただ継続に時間的保障がないだけで。いつになったらわかるよなんてのはありませんね。
ですから親や他人の言葉を聴きその意図を察するというのは、ごく普通以上に出来ていたと思います。それは普段の生活の中で親や周りの大人達が使わない言葉、台詞をそれこそ『商品としての映画世界』で毎日毎晩耳にし、その動きまで、その展開のあれこれまで観てる訳ですから、普通の会話の理解が不能な事などは起こりません。
だがこれほど聴く力や理解力はあっても、自分の意思を言葉にして伝えるというのは、それこそ『至難』でそんな『会話慣れ』の育たない環境に居ましたから、全くその能力が向上しないのです。
つまりは親から問われる内容も、『うん』『いいや』『いる』『いらない』の返しで済みましたから、いきなり見知らぬ人に何かを問われても、返す言葉を頭の中で探すのに必死で、人はその人に怯えて発しないと勘違いしていたようですが、ただ黙って立ち尽くす結果になる事もよくありました。
そんな態度にイラつく大人もいたのでしょう。
舌打ちしながら小突かれたり、プイと踵を返されたり、たまたま母が居合わせ見兼ねて『こうなんでしょ』とそんな時は助け舟を出してくれますからその場は収まりますが、母は私を助けたつもりでも、私はまだ返事の言葉の『探索中』なのです。
それでもそれに抗議しようと思っても、またその言葉も探しますから、結局全員にとってタイムオーバーでその日は一件落着となってしまいます。
まぁこんな子で親としても手のかかる子なのかかからない子なのか、判断に迷うところはあったと思いますが、昔の親はとにかく生活に必死ですから、親としては迷う事の優先順位を尊重します、それに基づけば全然『普通の子』だったと思います。
自分も『映画』の世界で多くの『感情むき出しの大人達』を観ていますから、直接的な暴力以外の事は、大して驚く事もない日常を送ったと思っています。
それもまた長く生きていく内に、『人は等しくその境遇を経験しあうもの』という言葉も自然に堆積して来ますから、それこそ入り口の環境は千差万別であったとしても、まぁ長らくの人生の過程の後は、右の人も左の人もお互い様のお疲れ様で自然と思えるようにもなるようです。
更には得意な事が生涯得意と誇示しうるものか、いや不得意苦手も慣れての経験の果てには、そんな色分けの存在さえも忘れたりするようです。
こうして生まれ落ちてすぐから始まる必死の人生も、個性の数だけの紆余曲折を経ての長らくを味わえば、ああこんなものなんだねと、世に各自の胸の納得以上の答えはないのでしょう。
それぞれがやがて立ち、それぞれを生き闘い我慢し努力し、ホッと一息ついたその表情に笑みの少しもあればそれは正しく大健闘の人生と、ウンと素直に頷けると思います。
しかしながらまだまだこの先は続きます。自分を知り周りを知ることの真の大事さは、その個性を知るからこそのお互い様の思いやりの自覚の瞬間に、自分をきちんと認め知った結果だと位置づくはずで、観念でも常識でも道徳でもなく、ああ自らを知るからこその他者の理解と解釈でき、ならばその背景はその意味はと、生き行く世界への紛れもない事実の合点が、日々の楽しさと重なっていくのだと思います。これは根底に「字の理論」を備えているからです。
若かりし故の苦労もやがては越え納得する事もあるのでしょうが、ただ必死に生きた故のその不確率の臆病なる生き方よりも、ここにこうしてきちんと存在する『字の理論』に従い考えれば、まずは何よりも自身の立ち向かい方に納得と安堵を得るはずなのです。
『誰もが誰にでも等しく持ち有る、名前の文字に観る可能性の世界』
ここに各人が名前を持つ意味が強く確実に存在し、その真の理解にこそ人は強く優しくその人生を歩けるはずなのです。
富や名声にその優劣を競う前に、個性を知った上での各人への大いなる尊敬の念を養うことこそ、人としてその生きる目的の根源があるように思います。
幼い頃映画に没頭しながらも考えた言葉の激しさ強さ美しさ脆さを、人は何故操るのかの疑問の一端に、そんな人々の弱さと素直さを重ねてもしまいます。
今だに個人的な質問の返事には窮してしまいます。
そんな場面を見たらああ『探索中』なんだなとご理解のほどお願いします。
こんな不器用者だらけのこの世界に、「字の理論」を提供しての人としての心の安定を願う。そう私達のお役目はまだまだ尽きぬほど存在しています。