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のぼかん

のぼりです

 「独歩百歩千歩」(どくひゃくせん)[十八]

「車窓に思うこと」
これは十数年前のお話しです。
皆さんは『名家』と聞けば何を思い浮かべますか。 広い敷地に歴史を連想させる壮大な建物、その地域の権力と裕福さをも情報として入れたくなりますよね。
さる地方都市の駅からローカル線に乗り替えます。
田園風景を左右に見ながら列車は進み、遠くの山々の連なりの美しさに、心はどんどん軽くなっていきます。
この後訪れる先の家族や親族とのこの半年のやり取りを思い返しながら、やっと総員納得の事態に漕ぎ着けられた事に安堵しながらも、『のぼかん』を用いずして成し得なかったであろう出来事の数々に、数多ある人の世の来し方の不器用さ実直さ頑なさを、改めての一人一人の「個性」の存在ゆえとする驚きと当然とする重さの双方を思いながら、結局は『個性を知らずしてその法なし』だなと頷かざるをえません。

訪ねる先もこの地方の名家として何百年かの歴史と業績と存在感を誇るという。
何百年かの時間のうちに、一体幾人の家族とその関係者が、名家の名の下に名声を博し一方で耐え忍び虐げられ傷つくこととなったのであろう。そしてその時間の中にその分に見合う数知れぬ感情の坩堝の出現のあったことであろうし、それでも最終的には建前としての代々の家の名誉とご当主の威光の為にと繰り返されても来たのだろう。
いやいや今回の件で皆さんが承知された、ご当主すらもその犠牲の最たるものとの着眼も、『内よりその個性を知り関係性を紐どき、事象とある因を探る』という作業なればこそ、思考の多様さを皆が知り得た訳で、『名家ゆえの苦悩と縛り』にあった『個性の排除』の実態の恐ろしさと無意味さに今ようやくと辿り着いたというのが実感であろう。歴史と名誉と威厳に隠された一面の堂々たる存在として。

俗にいう下々の家庭の生き方では、そんな望みもしない、制約もされない中の、ただ『個としての責任』のみを理解しておれば、どこでどのように生きようが誰の評価も期待しない分、自分次第と自由に生きられる。
名家の名の下に生まれ落ちると、そこからの環境としての教育が自分の成長に併せて始まる訳で、気がつけば自他共に『名家』のお札を纏い纏わされる事になっている。
これが四、五百年続いて来たというのであるから、『名家』に振り回され生きた人々とも表される。

約半年前の事、ある筋からの流れで『家督相続』の相談が可能かどうかを打診された。
別に普段にある相談事の一つですから断る理由はありません。
いや実はさる都市の名家の話でと、聞けばなるほど大した名の通った一家ではある。
その問うて来た筋の方が萎縮か恐縮されてるのだが、半信半疑も込めていかが相談となるものかと。
私の二つ返事で、その場から次期跡取りさんに電話連絡となり、実はその場十数分のやり取りの中で答えは出てしまった。
出てしまったことに驚いて、それはそのつまり親族達にどのような説明をすればと、やっと現実的な『のぼかん』とはからの質問に入られて、これを皆の前でやれば、その一回でおおよその人は同意の前に納得はされますよと話す。
ならばご足労願えるかというので、仰せの通りにとなったわけです。
答えとは言ったけれども、こんな内容は片っ方の話や意見を聞いただけでは絶対に判断出来ないものです、ですから関係者の会議に呼ばれたので、私を呼ぶのなら当事者の全員参加をお願いしたところ、18名の老若男女が参集されたのです。

さすがに大広間に居並ぶ面々と相対すると、どの方も人生の荒波やその一族としての誇りを気骨として纏い、貫禄というか昔なら生半可な内容なら討ち取ってくれる位の雰囲気が満ちている。
かくいう私も無愛想なら負けませんので、場は胸に熱き滾りのいざ弾けんと最高潮に達します。
これ位が刺激的で面白いし気分がいい。一人での闘いはこれが良い。迷いもないし集中力の充ちるのがわかる。
顔面紅くなったり白くなったりする司会さんの、奮闘ぶりにも増して、初めて聞く『のぼかん語』を意外にも必死に聞き取ろう理解しようとする参加者の熱意に、だんだん私も愛想が良くなっていく。

二、三人の眼前の長老や身内の個性を『人柄』としてまず説明し始めてた時、後ろの席の比較的若い壮年の列から笑いが出た。
人を褒めあげもしない分、貶める事も言わないのだから、『文字からわかるその個性』の意味を、だんだんと受け入れてくれる。
三人目になると説明に合いの手の同意が入り、一座が笑いともなる。
ここまで来たら、肝心なテーマに対しての『のぼかん説明』の聴く準備が整ったと判断する。素早くそう宣言すると途端にまた座は緊張するが、もう私を見つめる表情が違う。
かくかくしかじかのご問合せに対して、このような説明となる旨を素早くテンポ良く明快に進め説明する。
大学病院の医者もいれば、知る人ぞ知る学者さんもおり、農協の組合長、銀行の役員とか肩書はそれはそれは見事な面々だが、一族の名誉としてなる話ならば、と表向きとしてはそこは流石に皆さん立派な態度であった。

一通りの説明の後質疑応答。あくまで『のぼかん世界』に則り対します。
当然発言が自身の感情論の延長となることが多く、しかし始めの『個性』としての多面的納得が、それぞれの立場での疑問も払拭されていくと、『理に適う説明の強さ』を上回る感情論の展開は難しい事を皆さん悟ってゆく。
かくしてその日に一同同意の総意とはならなかったけれども、ここからは何なりといつでも何回でも電話やメールにとお話しします。
そうして皆さま総意の上での今回のご決定とされますようにとの挨拶でその場を終えた。

地方都市の中心部から来てる次男さんが、新幹線駅まで車で送るという。少し躊躇いながらそうしてもらう。
案の定、あの場では言えなかったけどもと本音とやらを話される。先代とのお話や約束事や、兄や兄嫁との関係やら今日が初見の割りには随分と熱弁される。
『理解はしても残る感情のやり場』に困り果てている次男さんというところだろう。
話しが尽きたのか穏やかな表情で、今日の感想と自分の会社の内容の人事の捉え方を聞かれる。
空腹の私は少しイライラするが、あと少しの距離に駅ビルも見えた事だし名物のそば屋の看板を思い出しながら笑顔で話しに付き合う。

それから半年、合計10人の15回の電話での話しで、一族郎党賛同がまとまりその決定報告会議への今日の出席を求められて、このローカル列車に揺られてるという次第。
所詮人生は難しい、意識し過ぎると生きることがまず難しいとわかる。考えないとこれまた難儀に直面する度に右往左往、これが人としてまず辛く苦しく不安の種として在り続ける。
どこかに簡単に答えがあるならいいのだろうが、それはあり得ない。
自分が自分で導き出す答えに従い生きる、それを理想とするならば、常識や一般論的答えを絶対と思わなきゃいいわけで、人生に絶対の答えなどいらないのである。
でもやはり『名家』ともなれば、相続して発展は時の運としても維持していく使命と責任を負う事から入るのだから大変です。
それでも一般であっても何かを負い課して課されて生きても同じ心理的負荷が生じるのだと考えれば、『名家』という目に見えぬ存在感の脅威や威圧感は、そこに生まれ育ってみないとわからないわけで、色んなご苦労が愚痴や感情の闘いとして露わにもなるのでしょう。
しかし我々のぼかんの講師としては、どなた様であろうとも人として皆さんに係る重圧への向き合いは同じであろうと考えるわけで、個々にはその立場立場でのご苦労のある事だろうと解釈するのです。

懐かしささえ覚えるような車窓に首を傾げて、ついあの山々の先に私の居場所を探してしまいそうな気分が湧きあがります。何故そんな事を考えるのかとまた問い直しては、シャキッとして駅に降り立つんだぞと、誰かが耳元で叱ります。わかってますよとつい声に出してしまいます。
列車のスピードが落ちてきた。窓の向こうに綺麗に整えられた葡萄の木の棚が続々と現れます。










初級科修了式・杉本さん


初級科修了授業・杉本さん


命名相談


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特別講座・午前の部


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