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のぼかん

のぼりです

 「独歩百歩千歩」(どくひゃくせん)[二十四]

「年の瀬に思うこと」
いつものように年の暮れとなり、私事には大して去年と変わらず一昨年ともそう変わらず、その前はもう記憶も定かではないが、何かがあったとしてもこうしてウロウロ生きてるのだから、そう特別な何かがあったわけでもなかったろうと思う。仕事に関して確認したりする以外は、要するに私事を思い出すのも億劫なのだ。
若い時ほどの感情の坩堝より抜け出せぬ辛さがあるでも無し、何かの選択に迷い焦り追い詰められそうな、あんな切迫するような気分ももう遠かりし頃の話しで、正直そんな事も本当にあったのかしらとさえあやふやなもんだ。

『人は過去を振り向き学ぶが、この身は前しか向いていない』
つまりは自分の過去を蔑ろにしては自分の身の先の標にもならんだろうと言うのだが、ついつい人は目先の事や明日の起こりうる事に集中するから、次から次に何かが起こり得るはず、と備えていると周期的にも似たような事に出くわし何度か同じ気分を味わった時、あゝまた同じ失敗をしたんだと自覚する。
他者にクドクド言われるより、自覚は鮮明に我が身に応えるから、しまったまたやってしまったとなる。
同じことを繰り返すのだから、本質的には嫌いなことや本音と乖離してる事をやるはずもないのだが、それが自分の為にならない結果や、責任を伴い逃れぬ位置で立ち尽くすとなると、そうそう同じ事を繰り返すと、回を追うごとに我が身に感じるダメージは大きくも重くもなる。

それを如何にして切り抜けるか、なんて世に存在する方法論ばかりに依存していると、10年経ってもまたまた同じパターンを繰り返している事になる。
そう、流行り廃りを繰り返す方法論など、世のブームという商波に則っているだけで、書いてある中味は貴方の全てを網羅して表してる訳ではないから、ここがあそこがと違和感が残り続けてるとなれば、果たして途中で放り出す事にもなりかねない。
確かにそれで解決したよと言うのであれば、それは良かったねとなるが、また次もそのパターンでと聞かされると、おいおい大丈夫かとなる。

今どきの、検索すれば忽ちにその求める答えを教えてくれるA I君の存在は、誠に便利だが、そうだと究極まで付いて行きますと言えるならいいが、それも一つの活用法にしかならないのであれば、やはり私が何かの確たるものを得る、その事に従いつつ世の趨勢をこの身に味わいながら、係る荒波小波を乗り越え行くのが宜かろうと、古今東西そうと教えがある。

『知識は我が身に生み育ち納得したものこそが我が助けとなる』
親や先に行く人の行く通り行けば間違いないと思えるうちはそれでも良し、先に行く人には効果的でも、その逆が我が身に重なれば、いや待てよと立ち止まり考える。
立ち止まり考える余裕を持たせてもらえるのなら、それも出来るが世間の枠にある現実や自覚はその疑問すら封じ込めたり、時に周りに封じられたりもする。
いよいよ既にいい歳になって、これでは自分の人生ではないと揺るがぬ意識がこびりついては離れぬと知った時、自らの納得を探す事となる。
そうして巷には何がと、先ほどの彷徨いもまた一つの型であるのだが、流されて愚痴り人のせいにするより、まだ何とか模索するのは至極真っ当な事だと思う。

『人は疑問の尽きぬまま歳を重ね、いつしか疑問のある間の人の生きる世なりと知る』
疑問を生きている証として観る、俯瞰や距離感の大事さを覚えると妙に面白く肩の力も抜ける。
私から観る世間だけではなく、世間が観る私像、つまりは私は周りにどう映り観られているのだろうと思う。
だからこう見られたいではなくて、どう映り観られてるかを考えると、なるほど私が周りを冷静に観るように、私もそんな観られ方をしているのだとわかる。
つまりは世間の誰もがそんなやり取り立場を変えて、そんな見つめ方で相手を周りを知ろうとしている。

組織でさえ数字が最優先と言っても、その文言に隠れたその人となりを知ろう把握しようとする。
大きく言うと誰もが誰の事も知らないのである、私すら私の事を全部知りまとめられないのである。
と考えれば、あゝ人はそんな生き物かも知れないね、となる。
一人一人で立ち生きると言うことは、一人一人の考え方は皆違うのだと、何となくわかってくる。性格が違うは誰もが頷く、では個性はどうですかと問われると忽ちに言葉に詰まる。個性の定義はと、混乱するんですね。
どこのどこまでを個性として表し現せるのか、そこが難しい。
ではどんな考え方をする人ですか、には自分が身知る限りで答えるけれども、途中からその知り得た時の設定やらを自分の感情を交えたりすると、途端にあやふやにもなる。

つまりは人の個性や発想法などを知り得る事には難しいのである。
だから『のぼかん』では、その人の持つ名前の文字の世界にそれが潜んでますよ、と前提して解説を進める。
名前の文字の解説を通してのみ知り語る『上流観名法〜のぼかん』
なるほどと当たり納得出来るから評価をいただける訳であり、その中の『形の法則&字の理論』にその根拠の全てがある事をお話しもする。
全人格、的な理解法と言わないのは人の生き物としての全てをこれで網羅すると思わないだけで、ましてやそんな面まで知ろうとは思わないからで、あくまで『文字を通してわかること』という気軽さにある、事実としての揺るぎなさのみは誇れるものだと思います。

この年の暮れを前に、各々考える事、感じることの数々あると思います。
『人は過去を振り返り学ぶが、前にしか生きられない』
この不器用さをお互い様と思い、また穏やかに日々を過ごして一つ歳を重ねてみましょうか。

本年もよく勉強していただきました、ほんとうにご苦労様でした。





初級科講師資格試験合格・小島さん


初級科講師資格試験合格・小島さん


初級科講師資格試験・小島さん


中級科修了式・小島さん


初級科修了式・植村さん


初級科修了式・富田さん、居永さん


初級科修了授業・富田さん、居永さん


初級科修了ランチ会


特別講座・午前の部


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