本文へスキップ

のぼかん

のぼりです

 「独歩百歩千歩」(どくひゃくせん)[二十]

「『立秋』の前のある日の一コマ」
人は夏の暑さの日でもいろいろ考えます。暑さから逃れられないフリをしながらも、肝心な事はきちんと考えようとします。そう夏だろうが冬の寒さにだろうが、いかに生活して仕事して子育てをして付き合いをしてと、人はやる事はやり考えることは考えるのです。
そして周りと共有する話題には、必然無関心にもおれない分、つい同調したり一緒に呻吟したりする。世に語ればそしてそれを広げれば何処かで誰かが受け取りのぞき反応してくれる時代にもなり、大凡発信の世界を無視しては世の中の動向すらも掴めんでしょうとあちこちで言う。

表現の自由が加速をつけて異種と言われる行動すらも、繰り返し表現され慣れたなと思う頃は社会にしっかり存在感としてあり、初耳と思ってもAIを頼ればたちまちにその背景や主張すらも知り得る事が可能となる。
果たしてそれは真の自由の範囲の内かと思う事も多く、次から次へと出現する機能や商品に、古い人間から見ると緊張して相対することが増えて来たなとしか感想と出来ずに、どうやら自由の枠やタガを越えたり越えようとする存在まで出現するとなると、これもたちまちに慣れの対象から、また遠からず変化していく。
今夏の参院選も候補者掲示板は賑やかだった。ほとんどその全ての主張を知る事もなく、ただ掲示板の前に立っても、誰もが毅然ともなくただ美しい笑顔で私を見る。
覚悟のほどを疑う気はないが、若い頃生きる上に欠かさなかった政党の主張やその候補者の人生感や政治心情を深く思っていた頃に比べて、私の熱気は年々に薄れて何とかこれではダメだ真剣に向き合おうと思う側から、全く訳のわからない連中が跋扈しては、いつしか知名度を得てその場所で堂々と日本の未来を語る、というか他党批判合戦を延々とやる。

そんなんじゃない、そんなんなのは政治ではない。腹の立つ事の少なくなったこの歳になってきたのに、国の未来を託す候補者のまずはその姿勢に残念さはみるし憤りも多少は覚える。
なんかむしゃくしゃした選挙期間を終えてのある日、夕方まで自分の時間が出来たので、溜まった所用を済まそうと、まずは近くのショッピングモールに出掛けます。
午前10時に家を出る段階で既に気温は35°、乗込んだ途端の車内の体感温度は50°かな。そんな時の走行の基本は、エアコンを最冷最強にしながら、全ての窓を開けて走りながら車内の熱気を追い出し空気を入れ替える、なのだが、熱波のような外気がガンガン入るので慌てて窓を閉める。
お天道様のなさる事には、愚痴もそっと小声で呟く程度にして、意識を他に向けながら決して逆らってはいけません。

モールの路面駐車場は既に満車状態。はずれのスターバックス近くのスペースが空いていたのでそこに停め店内に入ります。さすがに店内は冷房が程よく効いて、たちまちに心地よい気分になります。
買い物自体が昔から好きではなく、日常の買い物は主に近藤慶子先生にお願いしたりご苦労かけてますが、今日は何故かしらハナから気分がいいなと歩き始めた矢先に、スターバックスのオープンスペースに陣取る5人の老女グループと、目が合います。まさに目が合うという言葉通りに、5人が次々次と順番に私の顔を凝視しだします。
その動きから彼女らが示し合わせてそうしたのではないのは明白なのですが、その動きがまるで個々の課題に個々で向き合うかのように、私に順々順とその視線が向いて来るのです。
大抵の事には驚きや恐怖は感じませんが、こんな状況は人生初めてで、瞬間異様とさえ思いましたが、それでも何か言われたり質問されたりするでもなく、ただ唖然と見つめる彼女達に、私も『何か』と聞くタイミングも見つけられず少し息を詰めて慌てぬように通り過ぎます。

若い頃、用事で他県に行き表通りを外れた道を歩いていると、道の反対側を歩く2、3人連れの女性が、一斉に頭を丁寧に下げてくれた事があった事を思い出しました。私は初めての道を歩きその前後誰も歩いていません。無論、反対側を歩く彼女らの風貌にも心当たりはありません。まるっきり同じではないけれども、そんな事が三度ありました。
一度は頭を下げてから、手を口に持っていきアレッと言ったのがはっきり聞こえた事もありました。必ず複数人の女性です。お互い反対側の道どうしですから、誰かと間違えてるんでしょうが、きっとよほど似た人が居るんだろう位には思いましたが、他県で知らぬ街でですから、何とやらくらいの引っ掛かりは残っていました。
そうこうしながらの人生を重ねる中に世の中にはそっくりさんが三人はいる、六人はいるとかの話を小耳に挟んだ事もありましたが、自分が誰かを誰かと間違った、という経験がありませんから、人違いの感覚がイマイチわからぬままにここまで来ました。

それが面白い事に今では見た目ではなく、その人のある種奥面とする『個性の違い』を、表の常識として世に示す仕事に取り組んでる訳ですから、生物学上のヒト科の人の、『その名前の文字より知る個性の世界の凄さ面白さ』に魅了されているのです。
モールを歩きながら昔のことやらを少し思い出しては、久しぶりに来た本屋を覗き、視力が両方ともにあった頃興味のあった分類コーナーを、今はどう感じるのかと様変わりした本屋を彷徨いてみると、見つけたそのコーナーでは自分が驚くほど感動の湧かないのに驚き、読めば楽しいと思うだろうに、最早片目自体があの頃のような無茶読みはしないと覚悟したかのように、それを手にする事さえしたがらない。
怖がってるのか、嫌がってるのか、読もうという気力がない事にも驚く。

そうかそうかと一人ごちて、下の階の手作りおにぎりの店の天むすを買いに行く。数人の列に並んでいるとショーケースの中のあれこれの商品が囁きかける。結果天むすと出汁巻きのセットと鮭と利尻昆布と高菜のおにぎりを買う。
今日の本筋のATMコーナーでの処理を思い出しては慌てて2階に上がりサッサと片付ける。ひと段落したと思ったら無性に空腹感が迫る。 また1階のレストラン街に降り、久しぶりの鉄板スパゲッティに目が止まる。吸い寄せられたように店内に入ったら、女の子に外の名簿に名前を書いて待てと言われる。
一見したら店内は幾つも席は空いており、店の外には誰もおらず名簿には何にも書かれてない。途端にスパゲッティ気分は遠のき、隣の蕎麦屋のショーケースに目がいく。たまにはこれかなと、ざるそばと大海老天丼セットを頼む。ここはすぐに席を作ってくれた。注文取りも素早い。この感じがいいね空腹の時は。

注文してすぐに席に置いた荷物を見ると、天むすやおにぎりが入っている。
大海老天丼をこれから食べて、夜はまた天むすかとちよっと考えの浅さに落胆する。よく人が嫌がるような話でも何も拒む事なく向き合えるが、たまにやってしまう自分のこんなドジぶりは心から残念で堪らなくなる。一緒に暮らす家族が居なくて幸いだ。
冷たく呆れられるに決まってる。
私にしてはほんとに稀なる楽しいショッピングモール歩きも、もう1時間半も過ぎてしまった。さすがに気疲れを覚えるので帰るとする。
スターバックスのオープンスペースに差し掛かる。さっきの事を思い出して、ちょっとだけ緊張する。
居た居たあの5人組がまだ居ます。まだ居るんだな、いくら過ごしやすいとは言え、ちょっと長過ぎだろう。傍目にも凄い熱量で会話に夢中なご様子。
何の悪いこともないのだが、ついそっと素早く通り過ぎる。どうやら私には何の縁もゆかりもなかったのでしょう。

こうして私が意図せぬ事でも、相手には思惑として残る事があり、相手には自然で正直な振りでも、こちらには逃げ場のない緊張と感じたりと、ヒト科の人同士の出会いも交流も単にその存在だけでも、誠に多くの感情も情報も思慮さえも与え与えられ、日常においての考える世界の中心近くにいつも有ります。
自動ドアが開くといきなり熱風に包まれます、後ろから〇〇さんと声をかけられた気がします。
もう疲れてしまって振り向き確かめる気力はありません。2度目の呼びかけは来ないので、きっと瞬間暑さにやられてしまったのでしょう。

暑中見舞いとあちこちからはがきやお手紙をいただいてますが、『立秋』の8月7日を境に暑中見舞いが残暑お見舞いに替わります。
徐々に徐々にの変化や移ろいを見越して、その感触や気分を和らげ伝え教えようとしてくれる。日本語の世界に生まれつくづくその奥深さに救われ励まされてきました。
熱せられた車のドアを開け「エイッ」と一声発して乗り込みます。
健やかな汗が吹き出します。
この暑さを連れてやがて秋がやってきます。
皆さんどうぞお健やかにお過ごしください。









初級科講師資格試験


初級科講師資格試験


初級科講師資格試験


初級科講師資格試験合格発表


初級科講師資格試験合格発表


中級科修了式・上舩さん


中級科修了式・矢藤さん


中級科修了式・板山さん


中級科修了式・景山さん


中級科修了式・江坂さん


初級科修了式・大庭さん


初級科修了授業・大庭さん


体験会


特別講座・午前の部


特別講座・午前の部


特別講座・午前の部


特別講座・午前の部



特別講座・午前の部


特別講座・午後の部


特別講座・午後の部


特別講座・午後の部