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のぼりりゅうかんめいほう




第169号 2018年1月1日更新

文字に観る不思議な世界





《 日本二百寺社巡り 第139回   奈良県生駒郡  朝護孫子寺》    


 

                                                 
朝護孫子寺
   
 
    
                    玉蔵院三重塔、地蔵損     


     
           本堂                      本堂


     
           千手院                  千手院・護摩堂


     
           経蔵堂                    虚空蔵堂


     
           開山堂                   玉蔵院融通堂
  

     
          三宝荒神堂                    行者堂


      
           多宝塔                    成福院


     
          仁王門                      赤門


     
           鐘楼堂                     手水舎


     
           十三塔                    聖徳太子像


     
         世界一の大寅                  西方守護神白虎


     
           参道                      参道
  
 
             
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朝護孫子寺

朝護孫子寺(ちょうごそんしじ)は、奈良県生駒郡平群町(へぐりちょう)の信貴山にある信貴山
真言宗総本山の寺である。本尊は毘沙門天(多聞天とも称する)。

「信貴山寺」とも称し、一般には「信貴山の毘沙門さん」として知られる。毎年初詣時期には多く
の参拝客でにぎわう。

大和七福八宝めぐり(三輪明神、長谷寺、信貴山朝護孫子寺、當麻寺中之坊、安倍文殊院、
おふさ観音、談山神社、久米寺)の一つに数えられる。



歴史

朝護孫子寺は、大和国(奈良県)と河内国(大阪府)の境にそびえる生駒山地の南端に近い、
奈良県側の信貴山の山腹に位置する。創建の時期や経緯については判然としない。

寺に伝わる国宝『信貴山縁起絵巻』は平安時代後期、12世紀の成立とされ、日本の絵巻物の
代表作とされている。この絵巻は通常の社寺縁起絵とは異なって、朝護孫子寺の創建の経緯
等については何も述べておらず、信貴山で修行していた命蓮(みょうれん)という聖(ひじり)の
奇跡譚が中心主題となっている。
絵巻の中巻では延喜の帝(醍醐天皇)の病を命蓮が法力で治したという話が語られている。
『信貴山縁起絵巻』の詞書とほぼ同様の説話が『宇治拾遺物語』にあり、『今昔物語』にも信貴
山寺の草創に関する説話が収録されている。(聖の名は『宇治拾遺物語』には「もうれん」、『今
昔物語』には「明練」とある。)

平安時代末期に成立した歴史書『扶桑略記』の延長8年(930年)819日条には、「河内国志
貴山寺住」の「沙弥命蓮」が醍醐天皇の病気平癒のため祈祷を行ったことが見える。
なお、当時醍醐天皇の病気は相当進んでいたようで、1か月後の929日に死去しており、この
点は説話と異なっている。
なお、信貴山は大和国(奈良県)と河内国(大阪府)の境に位置し、朝護孫子寺の住所は奈良
県であるが、『宇治拾遺物語』『扶桑略記』には「河内の信貴(志貴)」と表現されている。

以上のことから、醍醐天皇の時代、平安時代中期の10世紀頃には信貴山に毘沙門天を祀る庵
があり、修行僧が住んでいたことは首肯される。当寺の創建について、聖徳太子を開基とする
伝承もあるが、これは太子が物部守屋討伐の戦勝祈願をした際に、自ら四天王の像を刻んだと
いう伝承に因んだ後世の付託と思われる。
伝承では、寅の年、寅の日、寅の刻に四天王の一である毘沙門天が聖徳太子の前に現れ、その
加護によって物部氏に勝利したことから、594年(推古2年)に毘沙門天を祀る寺院を創建し、「信
ずべき貴ぶべき山(信貴山)」と名付けたとする。
また寺の至る所に虎の張り子が置かれているのは、その逸話に由来している。その後、902
(延喜2年)に醍醐天皇が、「朝廟安穏・守護国土・子孫長久」の祈願寺としたことから、「朝護
孫子寺」の勅号を賜った。

戦国時代には木沢長政が信貴山頂に信貴山城を築いた。1577年(天正5年)に同城の城主・
松永久秀と織田信長の間で信貴山攻防戦が行われて久秀は滅亡し、寺も焼失するが、豊臣
秀頼によって再建された。
現在、山頂には同寺の「空鉢堂」があり、本堂付近から参道で連絡している。


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《 今月の撮影者・小倉 光 》

今月は大阪で育った私にとっては馴染み深い、けれど初めての信貴山に
お参りと撮影をしてきました。
山頂の境内はとても広く起伏にとみ、日頃の運動不足がたたり奥の院の
お参りはかなわず、撮影が終わったときはクタクタでした。
でも、本堂の前からの眺望は雄大で見事でした。

 

 Team200とは
「のぼかん」の毎月1日更新のホームページ表紙を飾る、『全国200神社 仏閣紹介の撮影旅行隊』の 略称で、ホームページ第139号、寺社巡り第110回より活動しています。
宗派、信仰教義内容に捉われず、日本の津々浦々における信仰対象となっている、日本独特の建造物
と呼ばれる神社 仏閣の姿やその歴史をご紹介出来たらとの願いより、サポーターTeamが発足したの
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『日本二百寺社巡り』の、200寺社巡り達成予定が2023年1月予定❗  元気に楽しく挑戦します。
応援よろしくお願いします‼


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