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のぼりりゅうかんめいほう




第156号 2016年12月1日更新

文字に観る不思議な世界





《 日本二百寺社巡り 第127回  京都市 禅林寺(永観堂)・金戒光明寺・真如堂 》    


 

                                                 
《禅林寺・永観堂》
    
    
                        阿弥陀堂


      
           御影堂                    多宝塔


      
           総門                      中門
    

      
            唐門                     鐘楼

   
《金戒光明寺》     

      
            山門                    御影堂(大殿)


      
           阿弥陀堂                   法然上人の御廟
            

       
     三重塔(文殊塔)          唐門               高麗門


《真如堂》

      
         
  本堂                     開山堂


            
          三重塔                       山門

  



              
         

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《禅林寺・永観堂》

禅林寺(ぜんりんじ)は、京都市左京区永観堂町にある浄土宗西山禅林寺派総本山
の寺院。一般には通称の永観堂(えいかんどう)の名で知られる。山号を聖衆来迎
山(しょうじゅらいごうさん)、院号を無量寿院と称する。
本尊は阿弥陀如来、開基(創立者)は、空海の高弟の真紹僧都である。当寺は紅葉
の名所として知られ、古くより「秋はもみじの永観堂」といわれる。また、京都に
箇所あった勧学院(学問研究所)の一つでもあり、古くから学問(論義)が盛ん
である。

歴史
空海(弘法大師)の高弟である僧都・真紹が、都における実践道場の建立を志し、
五智如来を本尊とする寺院を建立したのが起源である。真紹は仁寿3年(853年)、
歌人・文人であった故・藤原関雄の邸宅跡を買い取り、ここを寺院とすることにし
た。当時の京都ではみだりに私寺を建立することは禁じられており、10年後の貞観
5年(863年)、当時の清和天皇より定額寺としての勅許と「禅林寺」の寺号を賜わ
って公認の寺院となった。

当初真言宗寺院として出発した禅林寺は、中興の祖とされる7世住持の律師・永観
1033 - 1111年)の頃から浄土教色を強めていく。永観は文章博士の源国経の
子として生まれ、11歳で禅林寺の深観に弟子入りする。当初、南都六宗のうちの三
論宗、法相宗を学ぶが、やがて熱烈な阿弥陀信者となり、日課一万遍の念仏を欠か
さぬようになる。
師深観の跡を受けて禅林寺に入るのは延久4年(1072年)のことである。
永観は人々に念仏を勧め、また、禅林寺内に薬王院を設けて、病人救済などの慈善
事業も盛んに行なった。永観は今日の社会福祉活動の先駆者といえるであろう。
禅林寺を永観堂と呼ぶのは、この永観律師が住したことに由来する。
なお、「永観堂」は普通「えいかんどう」と読むが、「永観」という僧の名は「よ
うかん」と読むのが正しいとされている。

禅林寺の本尊阿弥陀如来立像は、顔を左(向かって右)に曲げた特異な姿の像であ
る。この像については次のような伝承がある。永保2年(1082年)、当時50歳の永
観が日課の念仏を唱えつつ、阿弥陀如来の周囲を行道していたところ、阿弥陀如来
が須弥壇から下り、永観と一緒に行道を始めた。
驚いた永観が歩みを止めると阿弥陀如来は振り返って一言、「永観遅し」と言った
という。本寺の阿弥陀如来像はそれ以来首の向きが元に戻らず、そのままの姿で安
置されているのだという。

禅林寺12世の僧都・静遍(1166 - 1224年)は、当初真言宗の僧であったが、後
に法然に帰依し、念仏門に入った。法然の高弟の証空(西山上人)も、静遍の後を
嗣いで当寺に住持したと伝えられている。
証空の門弟の浄音の時代に、禅林寺は真言宗から浄土宗西山派(小坂流)の有力寺
院となり、浄音が興した西谷(せいこく)流の拠点の一つとして光明寺とともに栄
えた。



《金戒光明寺》

金戒光明寺(こんかいこうみょうじ)は京都市左京区黒谷町にある浄土宗の寺院。
山号は紫雲山。本尊は阿弥陀如来。通称寺名をくろ谷さん(くろだにさん)と呼
ぶ。知恩院とならぶ格式を誇る浄土宗の七大本山の一つであり、また京都四箇本山
(他に知恩院、知恩寺、清浄華院)の一つである。初めは念仏道場として利用され
ていた。

歴史
承安5年(1175年)春、法然が比叡山の黒谷を下った。その後岡を歩くと、大きな
石があり、法然はそこに腰掛けた。するとその石から紫の雲が立ち上り、大空を覆
い、西の空には、金色の光が放たれた。そこで、法然はここに草庵を結んだ。
これがこの寺の始まりであるとされる。ここは、「白川の禅房」と呼ばれ、もとは
比叡山黒谷の所領で、叡空入滅の時、黒谷の本房と白川の本房を法然に与えた。
そのため比叡山の黒谷を元黒谷、岡崎の地を新黒谷と呼んだ。
後に法然は信空に黒谷の本房と白川の本房を与え、信空はこの地に住んだ。
その後岡崎の地を新黒谷とは呼ばず、黒谷(くろだに)と呼ぶようになる。
なお比叡山では黒谷を現在も黒谷と呼ぶ。第5世恵顗の時に堂を整え、法然の見た
縁起にちなみ紫雲山光明寺と号した。第8世運空は後光厳天皇に戒を授けて、金戒
の二字を賜り、金戒光明寺と呼ぶようになった。法然が最初に浄土宗を布教を行っ
た地であることに因み、後小松天皇から「浄土真宗[1]最初門」の勅額を賜った。
江戸時代初期に城郭構造に改修された。文久2年(1862年)京都守護職の本陣とな
った。
第二次大戦後「黒谷浄土宗」として一派独立するが現在は浄土宗に合流し七大本山
の一翼を担う。御詠歌「池の水ひとの心に似たりけり 濁り澄むこと定めなければ」


京都守護職本陣
金戒光明寺は徳川初期に同じ浄土宗の知恩院とともに城郭構造に改められていた。
会津藩主松平容保が幕末の文久2年閏81日(1862924日)に京都守護職に就
任すると、京都守護職会津藩の本陣となり、藩兵1,000人が京都に常駐し1年おきに
交替した。
会津藩士のみでは手が回りきらなかったため、守護職御預かりとして新選組をその
支配下に置き治安の維持に当たらせた。慶応3129日(186813日)、この
年の10月に行われた大政奉還後の王政復古の大号令によって薩摩藩・長州藩が京都
市中の支配権を確立したため、京都守護職は設置後6年をもって廃止された。
ここ黒谷の地で、鳥羽・伏見の戦いで戦死した会津藩士の菩提を弔っている。
なお、このころ中間として出入りしていた侠客が会津小鉄こと上坂仙吉である。



《真如堂・真正極楽寺》

真正極楽寺(しんしょうごくらくじ)は、京都市左京区にある天台宗の寺院で通称
・真如堂(しんにょどう)と呼ばれる。山号は鈴聲山(れいしょうざん)。
本尊は阿弥陀如来、開基(創立者)は戒算である。

歴史
永観2年(984年)比叡山の僧である戒算が夢告により、比叡山常行堂の本尊阿弥陀
如来を東三条院詮子(一条天皇生母)の離宮に安置したのが始まりである(『真如
堂縁起』)。正暦3年(992年)一条天皇の勅許を得て本堂が創建されたという。
不断念仏の道場として念仏行者や庶民、特に女性の信仰を得てきた。しかし応仁の
乱をはじめ度重なる火災により堂塔は焼失した。
その後足利将軍家や豊臣秀吉により京都市内の何カ所かを転々としたのち、元禄6
年(1693年)、現在の場所に再建された。

本尊の阿弥陀如来は「頷きの阿弥陀」とも呼ばれており、円仁(慈覚大師)が「修
行者を守護して下され」と祈ると首を横に振り「衆生、特に女性をお救い下され」
と祈ると頷いた、という伝説がある。

三井家の菩提寺で三井高利ら三井一族の墓石が並んでいる。お十夜(浄土宗の重要
な仏教行事)は、ここが発祥である。

近年は紅葉の名所として人気が高まっており、紅葉期は多くの人が訪れるが、普段
は静かな寺院である。



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《 今月の撮影者・小倉 光 》


  今月のTeam200は京都市左京区の紅葉の名刹を訪れました。
  雲一つない晴天の中、寺社の堂々とした佇まいもさることながら、見事な
  紅葉も楽しみながらの撮影となりました。
  Team200の撮影会としては初の電車移動でした。
  参加は米井さん、小川さん、小倉でした。ありがとうございました。

 

 Team200とは
「のぼかん」の毎月1日更新のホームページ表紙を飾る、『全国200神社 仏閣紹介の撮影旅行隊』の 略称で、ホームページ第139号、寺社巡り第110回より活動しています。
宗派、信仰教義内容に捉われず、日本の津々浦々における信仰対象となっている、日本独特の建造物
と呼ばれる神社 仏閣の姿やその歴史をご紹介出来たらとの願いより、サポーターTeamが発足したの
です。
『日本二百寺社巡り』の、200寺社巡り達成予定が2023年1月予定❗  元気に楽しく挑戦します。
応援よろしくお願いします‼


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その世界観を観ていくという
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我が子の内面がわかりづらい
人間関係が苦手である等の
悩みについて、ひとり一人の
持つ名前より解き明かして
いきます

「文字の再発見」では講師の皆さん
の「文字の分析」を毎月発表して
います

『のぼかん』の文字の解釈が、
あーなるほど!と理解して
いただけることと思います