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のぼりりゅうかんめいほう




第152号 2016年8月1日更新

文字に観る不思議な世界





《 日本二百寺社巡り 第123回  奈良県吉野群 金峯山寺・吉野神宮・丹生川上神社 》    


 

                                                 
《金峯山寺》
   
 
    
          蔵王堂                      蔵王堂細部 

  
    
        修復中の仁王門                    愛染堂
 
                          
    
         威徳天満宮                     観音堂    


    
           鐘楼                     二天門跡


《吉野神宮》

  
    
           拝殿                      本殿

   
    
          神門                      摂社三本殿


    
          手水舎                      鳥居


《丹生川上神社》

      
    
          拝殿                      拝殿・本殿
        

    
         
手水舎                       井戸 

       
         
鳥居                        叶の大杉  


            
                   
蜻蛉(せいれい)の滝


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《金峯山寺》

金峯山寺(きんぷせんじ)は、奈良県吉野郡吉野町にある金峰山修験本宗(修験道)の本山である。
本尊は蔵王権現、開基(創立者)は役小角と伝える。

金峯山寺の所在する吉野山は古来桜の名所として知られ、南北朝時代には南朝の中心地でもあった。
「金峯山」とは単独の峰の呼称ではなく、吉野山(奈良県吉野郡吉野町)とその南方二十数キロの大峯山系に
位置する山上ヶ岳(奈良県吉野郡天川村)を含む山岳霊場を包括した名称であった。

吉野・大峯は古代から山岳信仰の聖地であり、平安時代以降は霊場として多くの参詣人を集めてきた。吉野・
大峯の霊場は、和歌山県の高野山と熊野三山、及びこれら霊場同士を結ぶ巡礼路とともに世界遺産「紀伊山地
の霊場と参詣道」の構成要素となっている。

奈良県南部の吉野山に位置する金峯山寺は、7世紀に活動した伝説的な山林修行者・役小角が開創したと伝え、
蔵王権現を本尊とする寺院である。金峯山寺のある吉野山には吉水神社、如意輪寺、竹林院、桜本坊、喜蔵院、
吉野水分神社、金峯神社など、他にも多くの社寺が存在する。

「吉野山」とは1つの峰を指す名称ではなく、これらの社寺が点在する山地の広域地名である。また、吉野山の
二十数キロ南方、吉野郡天川村の山上ヶ岳の山頂近くには大峯山寺がある。吉野山の金峯山寺と山上ヶ岳の大峯
山寺とは、近代以降は分離して別個の寺院になっているが、近世までは前者を「山下(さんげ)の蔵王堂」、後
者を「山上の蔵王堂」と呼び、両者は不可分のものであった。
「金峯山寺」とは本来、山上山下の2つの蔵王堂と関連の子院などを含めた総称であった。


役行者と蔵王権現

国土の7割を山地が占める日本においては、山は古くから聖なる場所とされていた。中でも奈良県南部の吉野・
大峯や和歌山県の熊野三山は古くから山岳信仰の霊地とされ、山伏、修験者などと呼ばれる山林修行者が活動し
ていた。こうした日本古来の山岳信仰が神道、仏教、道教などと習合し、日本独自の宗教として発達をとげたの
が修験道であり、その開祖とされているのが役小角である。

役行者(えんのぎょうじゃ)の呼び名で広く知られる役小角は7世紀前半に今の奈良県御所市に生まれ、大和国
と河内国の境にある葛城山(現在の金剛山・葛城山)で修行し、様々な験力(超人的能力)をもっていたとされ
る伝説的人物である。奈良県西部から大阪府にかけての地域には金峯山寺以外にも役行者開創を伝える寺院が数
多く存在する。『続日本紀』の文武天皇3年(699年)の条には役小角が伊豆へ流罪になったという記述がある。
このことから役小角が実在の人物であったことは分かるが、正史に残る役小角の事績としては『続日本紀』のこ
の記事が唯一のものであり、彼の超人的イメージは修験道や山岳信仰の発達とともに後世の人々によって形成さ
れていったものである。

金峯山寺および大峯山寺の本尊であり中心的な信仰対象となっているのは「蔵王権現」という、仏教の仏とも神
道の神ともつかない独特の尊格である。金峯山寺の本尊は3体の蔵王権現で、その像容は火焔を背負い、頭髪は
逆立ち、目を吊り上げ、口を大きく開いて忿怒の相を表し、片足を高く上げて虚空を踏むものである。インドや
中国起源ではない日本独自の尊像であり、密教彫像などの影響を受けて、日本で独自に創造されたものと考えら
れる。修験道の伝承では、蔵王権現は役行者が金峯山での修行の際に感得した(祈りによって出現させた)もの
とされている。

 

《吉野神宮》

吉野神宮(よしのじんぐう)は、奈良県吉野郡吉野町に鎮座する後醍醐天皇を祭神とする神社。
建武中興十五社の一社で、旧社格は官幣大社である。旧社名 吉野宮

歴史
南朝の後村上天皇は、父の後醍醐天皇が延元4年(1339年)に崩御した後、その像を吉水院に安置した。
以降、仏教式の供養が行われていたが、明治時代に入って神仏分離により明治6年(1873年)に吉水院を後醍醐
天皇社という神社に改めた。2年後に吉水神社と改称して後醍醐天皇を祭神とする神社となった。このとき太政
官政府は官費(国費)で別の神社を創建する考えを表明したが、そのまま棚上げになって時が経った。

明治22年(1889年)622日に、後醍醐天皇を祀る官幣中社吉野宮の創建が、明治天皇の意向で決定した。
明治25年(1892年)に社殿が竣工して、吉水神社から後醍醐天皇像を移して遷座祭が斎行された。
明治34年(1901年)に官幣大社に昇格し、大正7年(1918年)に吉野神宮に改称した。



《丹生川上神社》

丹生川上神社(にうかわかみじんじゃ)は、奈良県吉野郡東吉野村にある神社。式内社(名神大社)、二十二社(下八社)の一社。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。

社伝に因れば、鎮座地は神武天皇が天神の教示によって天神地祇を祀り、戦勝を占った地であり、白鳳4年(675年)に罔象女神を御手濯(みたらし)川(高見川)南岸の現摂社丹生神社の地に奉斎し、その後現在地に遷座したものと伝えるが、寛平7年(895年)の太政官符(『類聚三代格』所収)には、当時の丹生川上神社の祝や禰宜の解を引き、『名神本紀』という書に「『人声の聞こえない深山で我を祀れば、天下のために甘雨を降らし霖雨を止めよう』との神託により創祀した」との伝えがあることを記している。吉田兼倶撰といわれる『二十二社注式』には、天武天皇の白鳳乙亥年(4年)に垂迹し、大和神社の別宮になったと記されているので、吉野と浅からぬ関係にあった同天皇によって創祀されたものとされている。古来大和神社(天理市鎮座)の別社とされ、祈止雨の霊験著しい雨師神として、朝廷から重んじられ、宝亀4年 (773年)には神戸4烟が充てられている(『続日本紀』)。律令制時代を通じて祈雨神祭祭神に預かり、祈止雨祈願のために貴布禰社とともに奉幣がなされた例は枚挙に遑がないが、その折には奉幣使に大和神社の神主が従う定めとされていた。『延喜式神名帳』では官幣大社(名神大社)に列格し、律令制の弛緩に際しても、二十二社の1社にもなるなど朝廷からの厚い崇敬は変わらなかったが、次第に奉幣も減少するなど衰微していき、応仁の乱以降は、ついにその所在すら不明となるに至った。なお、社伝では中世以降たびたび造改築されたことが伝えられており、当神社所蔵の慶安3年(1650年)の造営の上梁文には、当初の鎮座地に丹生神社を新造するとともに、本社を金剛峯寺の鎮守神に倣って「蟻通明神」と改称した旨が記されている。



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《 今月の撮影者・小倉 光 》


  初めての吉野詣では時おり曇るものの良いお天気に恵まれました。金峯山寺の仁王
  門が修復工事のため仁王様を拝観できなかったのが少し残念でした。 
  長い距離の移動も、いつもながら米井さんの確かな運転で思いのほか早く、あちら
  こちらと引っ張りまわしながらの撮影も無事終えることができました。

  池田さん、米井さん、今回もありがとうございました。

 

 Team200とは
「のぼかん」の毎月1日更新のホームページ表紙を飾る、『全国200神社 仏閣紹介の撮影旅行隊』の 略称で、ホームページ第139号より活動しています。
宗派、信仰教義内容に捉われず、日本の津々浦々における信仰対象となっている、日本独特の建造物
と呼ばれる神社 仏閣の姿やその歴史をご紹介出来たらとの願いより、サポーターTeamが発足したの
です。
『日本二百寺社巡り』の200号達成予定が2023年1月予定❗  元気に楽しく挑戦します。
応援よろしくお願いします‼


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いきます

「文字の再発見」では講師の皆さん
の「文字の分析」を毎月発表して
います

『のぼかん』の文字の解釈が、
あーなるほど!と理解して
いただけることと思います